「進撃の巨人」の謎が分かった

【a.k.a. 進撃の巨人 ネタバレ考察マガジン】 考察が正しければ、ネタバレになってしまいます。ご注意ください。

「楽園」の意味が、実はマーレとレイスで同じなのではないかという皮肉

 

我々エルディア復権派は全員「楽園」に送られた。パラディ島を永遠に彷徨う人喰い巨人となるべくして

 

「楽園」がどこにあるのか、86話の時点ではまだ正確に分かっていない。パラディ島にあるのか、はたまた別の場所なのか。ただ、楽園はどうも無知性巨人になるために送られる所らしいということは分かった。

楽園という言葉が出てきたのは、実は初めてではない。17巻において、ウーリはこう言っている。

 

ケニー…この世界はそう遠くない未来、必ず滅ぶ。そのわずかな人類の黄昏に、私は楽園を築きあげたいのだ。

 

皮肉な話だ、と私は思った。マーレにおいて恐れられている罰(?)と、ウーリ・レイスの理想が同じ言葉で語られているのだから。ただ、最初はそれ以上の意味を私は感じていなかった。単なる言葉遊び的なもの以上ではないのだろうと。しかしそれは間違いなのかもしれない、と私は思うようになった。その理由を書いてみたい。

 

まずは、マーレで言われる「楽園」とウーリの語るソレとを比較してみる。

 

マーレでの楽園の意味

 

 繰り返しになるが、マーレでは「楽園」はどうも無知性巨人になるために送られる所として使われているようだ。しかし、そもそも無知性巨人とは一体なんなのだろう。ここで、ヒントになりそうな2つのセリフを挙げてみる。

まずは、13巻でのハンジの発言だ。

 

(巨人化したエレンに対して)巨人の体との融合が深くなって、一つになりかけているんだ。もしほっといたら、普通に巨人になっちゃうんじゃないか、これは!!

 

そして、もう1つは19巻でのライナーの発言。

 

あの時…意識を全身に移すのが一瞬でも遅れていれば、あのまま即死だった

 

無知性巨人とは、人間的な意識(または意志)がない状態である。そして、知性巨人であっても、巨人の体との融合が深くなりすぎると無知性巨人になる。それは、知性巨人から意識がなくなったときだ。という仮説を私は持っている。

もちろん、上の2つのセリフだけを根拠にして主張するのは無理がある。トータルとしての考察だが、説明が長くなるため2つに絞った。この点はまた別の機会に書こうと思っている。

 

ウーリの言う「楽園」の意味

 

ウーリの言う楽園は、始祖の巨人の理想そのものであろう。完全な平和思想。ヒストリアに言わせれば、「破滅的な平和思想」である。そんな平和を目指した壁の世界はどのようなものだったのか。1巻を振り返ると、エレンのこんなセリフが目に入る。

 

一生壁の中から出られなくても……メシ食って寝てりゃ生きていけるよ…でも…それじゃ…まるで家畜じゃないか…

 

これは、ハンネスに向けたものだ。でも、仮に無知性巨人に向けたものだったとしても、さほど違和感はないのではないだろうか。

ここで思い出したのだが、実は私は過去に同様のことを別のブログに書いていた。

 

「うなじの中」と「壁の中」は同じ? 進撃の巨人 考察・推理ブログ【ネタバレあり】

 

懐かしい。と言っても、3年前の記事か。ここで、私はこう言っている。

 

「一生うなじの中から出られなくても…メシ食って寝てりゃ
生きていけるよ…でも…それじゃ…まるで巨人じゃないか」

 

結論

 

無知性巨人は、飢えることがない。死(正確には死の恐怖)がない。意識がないから苦しみや悲しみもない。これって、ある意味人間が理想とするところではないだろうか。そして、マーレはそのことを十分理解した上で、皮肉をこめて「楽園」と言っているのではないだろうか。(これは、ユミルの「終わらない悪夢を見てるようだった」に反する。ただ、これについても考察があるのでまた機会があるときに書いてみたい)

一方、ウーリを始めとして、始祖の巨人を引き継いだ者たちの言う「楽園」は当然皮肉でも何でもない。マジだ。しかし、このマジな結果がエレンに言わせれば「まるで家畜」なのである。マジと皮肉が同じ意味になるという「皮肉」な結果をもたらせているのである。そうすると、完全な平和思想というのがいかにバカげているかという話になる。いかに罪なことなのかという話になる。これが、作者の込めたメッセージなのではないだろうか。もちろん、私の勝手な推測なのだが。