【112話ネタバレ考察】「無知は不自由」というエレンが、無知な子供に「お前は自由だ」という理由
「自由」は、進撃の巨人のテーマ中のテーマです。
それは最終コマとウワサされている「お前は自由だ」にも表れています↓
※まだ確定していませんが、↑の後ろ姿はエレンだという前提で話を進めます。
また「自由」は、最新112話のテーマにもなっています。
112話のタイトルは「無知」ですが、無知という言葉が出てくるのは112話で1か所しかありません↓
「進撃の巨人」112話より
つまりこの「自由」を考察することは、進撃の巨人の根幹を考察することにもつながります。
しかしここで矛盾が生じます。
「お前は自由だ」は、(おそらくは)子供に向けられた言葉です。
ですが、子供は無知です。
エレンの言葉を借りれば「無知は不自由」となります。
つまりエレンは、無知な子供に「お前は自由だ」と言っているワケです。
でも私は、これを矛盾とは思っていません。
それはなぜなのか。
具体的に書いていきたいと思います。
まさに無知は不自由
まずエレンが、無知を不自由だと強く感じる理由について。
これは100話がとても良い素材になります。
エレンとライナーの語りのシーンです。
子供だったライナーは「壁の中にいる奴らは、自分たちとは違うものだ」と教え込まれました。悪魔だと。
ライナーは世界を救うため、壁を破壊しました。
そしてエレンの母を始め、多くの人間が死にました。
ライナーは知りませんでした。
海の外も壁の中も同じということを。
ライナーは苦しみから逃れられず、裁きを受けたい、もう消えたいと願いました。
これは、無知な子供だったライナーが招いた悲劇です。
まさに無知は不自由です。
「進撃の巨人」100話より
そしてこれは当然、ライナーに限った話ではありません。
エレンもジークも、みんなそうなのです。
無知が不自由ではない世界
前回111話で、サシャ父はこう言いました。
「過去の罪や憎しみを背負うのは、我々大人の責任や」と↓
「進撃の巨人」111話より
ではサシャ父が言うように、過去の罪や憎しみを次世代に背負わせる必要がなくなったとしたらどうでしょうか。
無知は不自由の理由ではなくなりますよね。
つまりエレンの「お前は自由だ」には、「お前はもう、生まれながらにして過去の罪や憎しみを背負う必要はない。自分たちのように」という意味が込められているのではないか、と私は思っているのです。
そして今のエレンの不可解な言動の全ては、その実現のためのものだと私は考察しているのです。
この辺のことは過去記事にも触れているので、良かったら見てみてください↓
ちなみに子供のころから過去の罪や憎しみを背負わされ、今でも不自由に見えるエレンが、それでもなぜ「オレは自由だ」と言うのかについては、別記事に書いてみようと思っています。
よろしくお願いいたします。