【111話の考察】サシャ父の「我々大人の責任や」がジークのセリフでもある理由
最新111話「森の子ら」。サシャのお父さんは言いました。
「過去の罪や憎しみを背負うのは、我々大人の責任や」↓
「進撃の巨人」111話より
これはもちろんサシャ父のセリフです。
が、
このセリフ、実はジークほど当てはまる人物はいません。
なのでマンガ的には、ここにジークの真意も込められていると私は思っています。
どういうことか。
具体的に書いていきます。
なぜジークほど当てはまる人物がいないのか
なぜジークほど当てはまる人物がいないのか。
答えはシンプルです。
「ジークは両親によって、生まれる前からすでに過去の罪や憎しみを背負わされていたから。そしてその負の連鎖を、自分たちで終わらせたいと強く願っているから。」
「進撃の巨人」86話より
実際ジークの↓のセリフにも、その気持ちがとてもよく表れています。
「俺達はあの父親の被害者…お前は父親に洗脳されている」(83話)
「終わりにしたいんだよ、俺達で」(77話)
「進撃の巨人」83話より
「進撃の巨人」77話より
ジークがガビやファルコを心配するシーンもありましたね。
ここにも、できるだけ子供を巻き込みたくないジークの気持ちがあらわれているように感じます↓
「進撃の巨人」107話より
今後のジークとファルコの絡みに注目
上で書いたように、ジークが「過去の罪や憎しみを背負うのは、我々大人の責任や」と強く感じているのであれば、がぜん注目したいのは今後のファルコの展開です。
なんせ、ジークの脊髄液を飲んでしまったのですから。
今後ジークとファルコに重要な絡みがあるのは、ほぼ確実でしょう。
ちなみに私の予想を書いておきます。
ファルコが脊髄液を飲んでしまったことを知ったジーク。
彼は不自然な形で、憲兵団幹部のジーク巨人化をちゅうちょします(ジークが一斉じゃなく個別にジーク巨人化できるなら話は別ですが)。
で、それを見た誰か(おそらくハンジ、もしかしたらピークも)が違和感を持ちます。
そしてその違和感から、ジークの真意に近づくなんじゃないかと。
どうでしょうか。根拠こそ薄々ですが、ナシではない展開だと思っています。
巨人の涙と最終コマ
ちなみに肉親によって「過去の罪や憎しみを背負わされていた」のは、ジークだけじゃありません。
エレンもライナーもアニも、ガビもファルコもそうですよね。
ベルトルトなんかもそうでしょう。
というか、そんなこと言い出したらエルディア人全員そうですね。
まあでも知性巨人の持ち主ともなると、過去の記憶もリアルに引き継いでしまうので、背負わされ具合がよりヘビーになりそうです。
ということで、巨人の涙の理由にここら辺も関係しているんじゃないかと、私はにらんでいます。
「進撃の巨人」84話より
あともう1つ。
エレンが「同じ歴史を、同じ過ちを繰り返したくない」気持ちを強く持っているだろうことは、前に別の記事で書きました↓
そんなエレンに、もし子供が生まれたらどうでしょうか。
もちろん「過去の罪や憎しみを背負わせよう」とはしませんよね。
ということで、これがウワサの最終コマにつながるのではないかと私は思っています↓
変わるかもらしいけど
— ぴぴ子@アニゲー垢 (@kk1928kk) November 18, 2018
進撃の巨人最終回のコマ.....
今後の展開が気になる....#情熱大陸 #進撃の巨人 pic.twitter.com/0o8aVFVt4x
色んなウワサがあるようですし、私自身まだ「情熱大陸」を観れていないのですが、子供を抱いているのはエレンじゃないかなと。
子供はエレンの子か、あるいはヒストリアの子かもしれません。
エレンはひたすら自由を願い、しかし過去の罪や憎しみを特別な形で背負うことになってしまいました。
でも自分の子(あるいは次世代)には、自由を与えることができた。
同じ歴史、同じ過ちはもう繰り返さなくてすむ(まあ実際は、そううまくはいかないでしょうが)。
そういう話なのではないかなと思っている次第です。