「進撃の巨人」の謎が分かった

【a.k.a. 進撃の巨人 ネタバレ考察マガジン】 考察が正しければ、ネタバレになってしまいます。ご注意ください。

131話の地鳴らしが「今の記憶」ではない8コの理由

 

 

最新131話。

地鳴らしで人々が踏み潰される悲惨な景色が描かれました。

ただ、この地鳴らしは現在の記憶ではない。

正確には、130話の途中から現在の記憶ではない。

私はそう思っています。

 

理由については、すでにツイッターに散々書きました。

しかし散々というだけあって、とっ散らかしてしまっていることも事実。

なのでブログで簡単にまとめておこうと思った次第です。

 

まとめる順番はこんな感じです。

  1. そもそも現在の記憶ではないってどういうこと?
  2. 現在の記憶ではないと言える理由。
  3. 現在の記憶でないなら、どうなるの?

 

ということで、書いていきますね。

 

 

【目次】

 

 

進撃の世界は新しい道(記憶)とともに古い道も残る

 

 

ジークが言うように、エレンは未来の記憶を利用して実質的に過去を変化させることができます。

 

 

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「進撃の巨人」121話より

 

 

 つまりはこんな感じかと思います↓

 

 

未来エレンが出来事Aを体験

↓↓↓

未来エレンのAの記憶をグリシャが見る

↓↓↓

グリシャが見たAの記憶を過去エレンが見る

↓↓↓

過去エレンが行動を変える

↓↓↓

未来が変わる

↓↓↓

変化した出来事Bを未来エレンが体験

↓↓↓

繰り返し

 

 

エレンは現在の記憶を「今の道」と呼んでいます。

では古い道、つまり変化前の記憶はどうなるのでしょう。

私は古い道も残ると考えています。

 

古い道が今の道に上書きされずにそのまま残るという確証はまだありません。

しかし、ミカサを見るとその可能性の高さがうかがえます。

なぜミカサを見ると分かるのか。

この部分を書くとかなり横道にそれそうなので、本記事では割愛させてください。

(ある程度はツイッターに書いていますので、良かったら見てみてください)

 

ということで、仮にという形で恐縮ですが古い道は残るものと考えて。

ここからは、なぜ131話の地鳴らし(正確には130話の途中から)が古い道と言えるのか。

その理由を8コほど書いていきたいと思います。

 

 

131話の地鳴らしが現在の記憶ではないと言える理由

 

 

理由1. エレンの髪型

 

 

 

 

130話の回想で出てくる少年エレンの分け目が、他の回とは逆になっています。

最初1巻と比べて気づいたときは、もしかするとたまたまの可能性もあるのかなと思ったのですが、96話でもやはり逆でした。

もちろんそれでもたまたまという可能性は残りますが、んー、私は意図的ではないかなと感じています。

 

 

理由2. エレンの袖

 

 

 

 

次に挙げるのは袖の色ですね。

ただこれも、あくまで対応する"と思われる"場面なので、もしかすると違う場面という可能性もまだ残っているのかなと。

 

理由3. 黒い鳥と白い鳥

 

 

 

 

白い鳥はこれまでも何度か登場してきましたね。
黒い鳥は恐らく初めてです。
もちろんだからと言って、これだけで今の道と古い道というところに直結させることはできません。

ですが、エレンの記憶の中に鳥の目と思われるものが入っていることからも、ポイントの1つにはなるのかなと思っています。

 

 

 

 

理由4. ラムジーの頬の傷

 

 

 

 

131話と123話が同じ道の場合、ラムジーの頬の傷はなぜなくなったのかという点ですね。

まあこれに関しても、ラムジーの頬に傷がある日とラムジーたちからもてなしを受けて酒盛りした日が同じではない可能性がまだ残っていること。

あと、頬の傷ではなく単なる汚れの可能性もあるかと思います。

 

 

 


理由5. エレンの自由が成長していない

 

 

 

 

131話のエレンが言う「自由」。

これが、私が一番最初に持った違和感です。

個人的には一番強い理由でもあったりします。

 

↑のツイートの「無知」もそうなのですが、なんだろうな、もっと根幹の部分というか。

これまで実に様々な経験をしてきたエレンの行き着いた自由が、こんなものであるハズがない。

というのが、率直な今の私の思いなんですよね。

コレ!という具体的な根拠はまだ整理できていませんが、いや、全体的に見ればおかしいだろうと。

 

まあもっとも、131話で自由を語るエレンは少年姿なので、この自由を「行き着いた」と判断するのはまだ早いのかもしれません。

それに、生まれたときから自由の怪物だったエレンが、最後まで自分の自由の概念をブラさなかったという解釈もできるのかもしれませんし。

 

でもなぁ……。

私が間違いや勘違いをしている可能性もあるので断言は控えたいのですが、でも思わず断言したくなるほどの強い気持ちがあったりしますね。

この部分には。

 

 

理由6. 地鳴らしでは「終わらない」

 

 

 

 

エレンは始祖ユミルに「永久にここにいるのか、終わらせるかだ」と選択を迫り、「オレが終わらせてやる」と言いました。

しかし↑でつぶやいたとおり、地鳴らしでパラディ島以外の人類が絶滅したとしても座標は残りますし、始祖ユミルも座標にいるままでしょう。

何も終わりません。

 

まあもっとも、地鳴らしが途中で終わる可能性はあると思っています↓

 

 

 

 

理由7. ジャンたちに無駄な罪悪感を持たせる必要がない

 

 

 

 

もし131話が今の道(記憶)だとすると、エレンがラムジーたちのもてなしを受ける場面には違和感があるんですよね。

あれだけラムジーに「ごめん、ごめん」と罪悪感を見せていたエレンですよ。

これから暴力の限りを尽くして殺す人たちのもてなしをシレッと受けますかね。

 

もっともエレンに関しては、ラムジーへの懺悔で何かしらの考えの変化が生まれたという解釈が成り立つのかもしれません。

でもジャンたち104期の仲間はどうでしょう。

エレンはジャンたちにも手招きして誘っているんですよね。

これにより、ラムジーたち大陸側の人間に対して情が入ってしまうのは当然で、実際ジャンはラムジーたちを思い出しています。

ジャンたちにこんな無駄な罪悪感を持たせるようなことをエレンはするのでしょうか。

 

まあもちろんこれについても、エレンがラムジーに懺悔したのがもてなしを受ける前という前提での話です。

もし時系列が異なるのなら、話が変わってくる可能性は当然あると思います。

 



理由8. ラムジーを未来の記憶で見たことがある

 

 

 

 

 

↑のツイートのとおりですね。

エレンが初めてラムジーを思い出した(と思われる)シーンから、違う道(記憶)なのではないかと私は推察しました。

 

ただこれについても、解釈が異なるのではないかとご指摘を受け、なるほどなと訂正にまで至ったのが↓ですね。

 

 

 

 

このシーンだけに限定をすれば、どちらの解釈も間違っていないと思います。

ただ他の理由と総合して考えると、訂正前の解釈でいきたいなというのが私の考えですね。

 

 

と、理由を8コ挙げてみました。

1コ1コ単発で見ると確証には至らないかもしれません。

でも総合的に見ると……私的には確度高めなんじゃないかなと。

どうなんでしょうね。

 

 

具体的にどこから記憶が変わったか

 

 

 

 

では具体的に、どこから記憶が変わっているのか。

↑のツイートのとおり、130話の鳥は時空を超えている描写になっているように私には見えます。

なので記憶が変わったのは、↓のどちらかかなと。

 

 

 

 

 ↑のどちらのシーンなのか。

これについては、まだ結論を出せていません。

 

 

道が違うなら131話→1話?

 

 

さて。

細かい部分はさておき「131話の地鳴らしは古い道(変化前の記憶)」説が合っているとすると、何が言えるのか。

 

この古い道(記憶)を1話のエレンが見たのではないかと私は考えています。

 

 

 

 

つまり時系列で言えば、131話(正確には130話の途中から)は1話より前の出来事だということ。

 

始祖の巨人(?)の姿についても、1話とリンクしてそうな匂いがありますし↓

 

 

 

 

もし私の考察の方向性があっているなら、結構いろんなことが分かってくるのではないかと思うんですよね

(すでにいくつかはTwitterに書きました)。

考察、合っていて欲しいですね。

どうなんでしょう。

いつもどおり、いい意味で裏切られたいお気持ちもありつつ。

いややっぱ間違っていたら悔しいですね。合ってて欲しいな。

まあ何にせよ、次回以降を楽しみに待ちたいと思います。