【考察】ラムジーは生きている
今回の記事は、過去記事に書いた内容をタイトルに合わせて編集しただけのものです。
なのでタイトルをご覧になって「あれ、これエドノポーが前から言うてるやつやん」と思われた方は、読んでくださっても時間の無駄になってしまうかもしれません。
予めご了承くださいませ。
ということで、
なぜラムジーは(今の道では)生きている
と考察できるのかを書いていきたいと思います。
【目次】
ラムジー死亡の地鳴らしは今の道ではない
131話にはラムジーが地鳴らしによって死亡する姿が描かれています。
しかし私は、この131話の地鳴らしは今の道の記憶ではないと考えています。
そう考える理由については、以前別の記事に書きましたのでご参照くださいませ↓
ラムジー生存=エレンが運命を乗り越えた証拠となる
先ほど、ラムジー死亡の地鳴らしは今の道ではないと書きました。
この考察が正しいとして。
ではなぜ、この場面が描かれる必要があったか。
ラムジーが地鳴らしで死ぬこと自体が、エレンにとっての運命だったからです。
エレンにとっての運命とはもちろん、「未来の記憶」です。
131話ではラムジーが地鳴らし被害に合うともに、未来の記憶によってエレンが悩み、未来の記憶に屈する姿が描かれています↓
「進撃の巨人」131話より
「進撃の巨人」131話より
しかしご存知のとおり、進撃の巨人の物語にとって「運命を乗り越える」はとても重要なテーマの1つと言えます。
それは、自由の体現者である104期ユミルの「運命なんてねぇんだと立証してやる」など様々な形で描かれてきました。
「進撃の巨人」40話より
だから、主人公エレンにとっても当然この「運命を乗り越える」というテーマが当てはまる。
そして(古い道では)地鳴らしによって死んだはずのラムジーが、(今の道では)生きているということは、エレンが未来を変え運命を乗り越えたことの何よりの証拠になるという考え方です。
この辺については、別記事にも書いていますのでぜひご参照ください
余談ですが、進撃の巨人は結末まであと残りわずかとのことです↓
本日の記事です👇
— 朝日新聞大分総局(湯吉) (@asahi_oita) November 8, 2020
「連載は残り1〜2%」と諫山さん。物語の始まりとなったエレン、ミカサ、アルミンの像ですが、いまの3人を思うと尚更、様々な思いが寄せてきます。長かった旅は、どんな結末を迎えるのでしょう。#進撃の日田 #進撃の巨人 #日田 https://t.co/Ce3tBaEDdP
であればなおさら、ラムジーの部分が使われる可能性は高い。
そう私は考察しています。
【補足】そもそも「今の道」って何?
本記事では「今の道」という言葉を普通に使ってきました。
ですが「今の道って何?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
今の道とはエレンの↓のセリフからとった言葉です。
「進撃の巨人」121話より
このときエレンは、本当は別の未来(私は勝手にこれを「古い道」とよんでいます)があったけれど、ジークが自分を記憶の旅につれていってくれたおかげで未来が変わって今の道ができたと言っています。
つまりこういうことだと思います。
例えば未来のエレンが記憶Aをグリシャに見せる(ジークの言う「都合の良い記憶」)
↓↓↓
グリシャを通して過去のエレンが未来の記憶Aを見る
↓↓↓
過去のエレンが未来の記憶Aを変えようと努力する
↓↓↓
結果、記憶Aが記憶Bに塗り替わって「今の道」になる(記憶Aは古い道になる)
↑を繰り返せば、記憶上の無限の平行世界が出来上がる。
つまりエレンは自らが諦めず進み続けることができれば、いつか自分の目指す未来が叶う可能性がある。
しかし未来を変えようとすれば、本来はなかったはずの犠牲を生み出すことにもなる。
そしてこのことをエレン自身は多分分かっていて、だから↓のような言葉がエレンの口から出てきたのだと感じる次第です。
「進撃の巨人」97話より