【考察】「いってらっしゃい、エレン」はミカサの諦め(131話までのネタバレあり)
「いってらっしゃい、エレン」は、ミカサの「諦め」の結果。
— エドノポーは進撃の巨人を考察しています (@edonopoh) January 12, 2021
「もう諦めない」「最終的には諦めたんだから」
ミカサは(今の道ではない古い道で)エレンが行くのを諦めた。#進撃の巨人考察 pic.twitter.com/OjY9ujEwBm
今回の記事の内容は、↑のツイートの具体的な説明になります。
なぜ「いってらっしゃい、エレン」がミカサの諦めの結果と言えるのか。
書いていきたいと思います。
※
今回の記事は、まだ明らかになっていない部分を多く取り扱っていることもあって、他の記事よりもさらに私の想像が入ったものになっています(まあそう言いながら、少なくとも方向性は間違っていないのではと思っていますが)。
予めご了承くださいませ。
【目次】
ミカサの「諦め」の場面
ミカサの「諦め」が出てくる場面は3つあります(他にもあるかも。あればぜひ教えてください)。
とりあえず1つずつ挙げていきますね。
2巻7話「もう諦めない」
「進撃の巨人」7話より
「もう諦めない」というのは、言い換えれば「諦めた過去がある」ということです。
ミカサは何を諦めたのか?
過去にミカサが諦めたシーン……例えば、エレンの母カルラの死の場面なんかは当てはまるかもしれません。
しかし7話を読み返してもらえば分かるとおり、カルラの死では明らかにミカサのセリフと合いません。
22巻90話「最終的に諦めた」
「進撃の巨人」90話より
アルミンとエルヴィン、どちらに注射を打つべきか。
そのときを振り返ってフロックが言った言葉ですね。
ミカサのリアクションを見ると、「諦め」に対してミカサが強い感情を持っていることがうかがえます。
ロストガールズ
「進撃の巨人 LOST GIRLS」より
進撃の巨人のスピンオフに、「LOST GIRLS(ロストガールズ)」という作品があります。
スピンオフなので、もちろん差し引いて考えるべきでしょう。
しかし差し引いたとしても、本編の世界観をかなりキッチリと受け継いでいる作品であることには変わりはないと私は考えています。
少なくとも、本編を理解する上でのヒントとして見ることはできるのではないかと。
ミカサの「諦め」の場面から分かること
ということで、上↑の3つの場面から分かったことが↓です。
- ミカサには諦めた過去があるということ。
- ミカサは「諦め」に対して強い感情を抱いているということ。
そしてロストガールズの「世界を敵に回す行為だったとしても、行かせるべきじゃなかった…諦めるべきじゃなかった」を、ヒントとしてここに加えたいと考えています。
さて。
この3つはどう結びつくのでしょうか。
私はあれやこれやと考えてみました。
が。
しっくりくるシナリオは1つしかありませんでした(なので、他にあれば教えてください)。
それが「いってらっしゃい、エレン」です。
「進撃の巨人」1話より
ということで、↑の3つを結びつける私の想像を書いていきたいと思います。
【前提】「今の道」があれば「今じゃない道」もある
まず前提として押さえておきたいポイントがあります。
「今の道」というやつです。
「進撃の巨人」120話より
このときのエレンの言葉から分かること。
それは「今じゃない道(古い道)があった」ということです。
長くなりそうなのでここでは詳しく説明しませんが、今じゃない古い道には、グリシャがレイス家を皆殺しにしたり、ジークがグリシャの愛を感じる展開などは恐らくなかったのでしょう。
で。
この今じゃない古い道。
実はすでに作中に描かれていると私は思っているのです。
それが131話。エレンが地鳴らしをしながら「自由だ」と叫ぶ回です。
※
ちなみに「今の道って何?」ということについては、↓に私の考えをまとめているので、ぜひご参照ください。
今じゃない道で何があったか
「131話の地鳴らしが、なぜ今の道ではない古い道だと言えるか」については過去記事↓をご参照いただくとして、ここでは「131話の子供エレンは、今の道ではない古い道のエレン」であることが正しいものとして話を進めさせてください。
131話のエレンの「自由」は、エレンが昔から持っていたものと何も変わっていません。
「エレンの自由」 = 「自分を不自由にするものを排除すること」
です。
そんなエレンにとって、究極の場所があります。
座標です。
想像してみてください。
座標には、エレンを不自由にするものは何もありません。
炎の水、氷の大地、砂の雪原……座標では何でも作ることができます(まあ、エレンがそれらを本当に必要としているかどうかは別として)。
「進撃の巨人」120話より
131話で、少年エレンは座標にいました。
「エレンはあのまま座標に居座るのではないか」
私はそう考えています。
事実。
北欧神話によると、最終的には2人の人間が新しい世界で暮らしていくとのこと(私は読んでいないので、完全に受け売りですが)。
この木、アニメではそういう風に描かれていなかったけど、巨人の力も9つだしね。
— ふみ (@MintE56) August 17, 2019
もし先生が、世界樹を意識して描いたとすると、北欧神話では、最後に巨人と神々との激しい戦いがあり、人類のほとんどは死滅。
世界樹の辺りだけが焼けずに残り、2人の人間が新しい世界で暮らしていくのだと…
続く→
さらに。
「北欧神話を知っていれば、3割ネタバレしているようなものだ」と作者の諫山創さんがおっしゃったことがあるらしいのです。
今じゃない古い道で座標にいるのは、エレンとミカサ。
これが北欧神話でいう2人なのではないかと私は考えています(始祖ユミルがどうなっているかについてはまだ考えが定まっていないので、すみません、ここでは触れません)。
ミカサの願いはただ1つだけ。
エレンのそばにいることです。
言うまでもなく、座標ならミカサはずっとエレンと一緒にいることができますよね。
知性巨人を持つエレンの寿命は限られています。
しかし座標なら寿命は永遠。始祖ユミルを見れば、少なくとも二千年以上は暮らしていけることが分かっています。
エレンだけでなく、ミカサにとっても座標は理想の地。
2人にとってまさに、座標は天国なのです。
と、ここで天国というワードを出しました。
これには理由があります。
諫山さんのこの言葉です↓
“天国で暮らせば幸せでいられるかもしれない。しかしそれは結局、神の奴隷になることじゃないか。たとえ天国を追放され、地獄に堕ちようとも、自由を選び取るべきだ。それが、『失楽園』のテーマです”
— 諫山創bot☃️ (@isym_hzm_bot) September 20, 2020
“『進撃』にとって、もっとも重要な思想のひとつになっています”
(2016 月刊進撃12)
↑の言葉。
エレンにピッタリだと私は思うのです。
なぜそう思うのか。
「エレンにとっての自由」を考察することで、回答に近づきたいと思います。
エレンは地獄の自由を望んだ
エレンの考える自由。
それは先ほど書いたとおり「自分を不自由にするものの排除」です。
でも、はたしてコレは自由と言えるのでしょうか。
あ、いや、問いが悪いですね。
ここで私は「真の自由とは何か」みたいな議論をしたいわけではありません。
人の価値観は様々ですしね。
しかし、エレンが最終的に求めた自由は「自分を不自由にするものの排除」ではない。
私はそう言い切れると考えています。
なぜか?
それはエレンがライナーに語った「海の外も壁の中も同じ」という言葉があるからです。
「進撃の巨人」100話より
「自分を不自由にするものの排除」というのは、言うまでもなく、自分の外側のものを排除し続けるということです。
それはうっとうしい壁だったり、海の外の人間たちだったりします。
しかしエレンのこの言葉から分かるのは、「エレンが外だと思っていたものは、実は外ではなかった」ということです。
外のものを排除し続けても変わらない。
なぜならエレンの求める自由は、エレンの外ではなく中にあるのだから。
こんなシーンがありました↓
「進撃の巨人」124話より
ガビというキャラクターは明らかに「エレンの成長のダイジェスト版」という役割も果たしています。
そのガビが行き着いた答え。
それが「悪魔は外ではなく中にいる」です。
つまり。
自分の外側に自由を求め続ける131話の子供エレンは、進撃の物語においては「自由に囚われた奴隷」と解釈することができるということです。
奴隷エレンが「自分は自由だ」と勘違いしながら座標(天国)で暮らし、(何がきっかけかはさておき)自分が奴隷であることに気づいたということです。
だからエレンは地獄の自由を望んだのです。
先ほどの諫山さんの発言を、もう一度引用させてください。
“天国で暮らせば幸せでいられるかもしれない。しかしそれは結局、神の奴隷になることじゃないか。たとえ天国を追放され、地獄に堕ちようとも、自由を選び取るべきだ。それが、『失楽園』のテーマです”
— 諫山創bot☃️ (@isym_hzm_bot) September 20, 2020
“『進撃』にとって、もっとも重要な思想のひとつになっています”
(2016 月刊進撃12)
どうでしょう。
ピッタリ当てはまると思いませんか。
そして。
ミカサはそんなエレンを止めることができなかった。
エレンが座標(天国)から出るのを止めることができなかった。諦めた。
これが、ミカサの胸に強く刻まれている「諦め」です。
それが「いってらっしゃい、エレン」です。
という感じでだいぶ勢いよく書いてしまいましたが、もちろんこれらは私の想像に過ぎません。
ですがこのように考えれば、先ほどのロストガールズでのミカサの言葉もしっくりくることが分かります↓
「世界を敵に回す行為だったとしても、行かせるべきじゃなかった…諦めるべきじゃなかった」
もしどうにかミカサがエレンを止めることが叶えば、ミカサは座標でエレンとずっと一緒にいることができます。
しかし地上には、キレイに地鳴らしされてしまった世界が横たわっている。
この地鳴らしが完了した世界を良しとすることは、まさに「世界を敵に回す行為」でしょう。
さらに。
もし私の想像の方向性が合っているのであれば、エレンは104期ユミルや始祖ユミルと似た人生をたどることにもなります。
増えた1枚の花びらが、進撃の巨人。
— エドノポーは進撃の巨人を考察しています (@edonopoh) October 9, 2019
コレは願い。始祖ユミルの自由への願い。
さながら、104期ユミルの心からの願いのような。
この願いが、二千年をかけてエレンを導いた。#進撃の巨人 #122話 #ネタバレ #考察 https://t.co/shSpjr2TKv pic.twitter.com/9XsU0NYK4d
奴隷だったことに気づいたエレンが願った自由。
それが1話のエレンに届いたという流れです。
このような意味でも、私の考えるシナリオが想像に過ぎないと分かりつつ、それでも可能性は十分にあるのではないかと期待している次第です。
肝心なポイントを忘れていた
本記事をほぼ書き終わった後に気づいてしまいました。
「知性巨人持ちでもない1話のエレンが、なぜ未来の記憶を見ることができたか」というポイントをすっかり飛ばしてしまっていたことに。
ということで記事を書いた後になってアタフタしていたのですが、アタフタ中に思い出したことがあって、それは「確かアニメの方で、原作にはないファルコのセリフ(立体機動が……)があったと話題になっていたな」ということです。
というわけで、これまでアニメをほぼ全く観てこなかった私ですが、ここに来てようやく手を出してみました。
このシーンですね↓
「進撃の巨人」The Final Season 60話より
色んな説があるようで、これが未来の記憶と決定しているわけではありません。
ただもしこれが未来の記憶であり、ファルコがこういう感じで記憶を見ることができたのなら、当然1話のエレンも可能性があると考えて良いのではないでしょうか。
というかむしろ「1話のエレンがなぜ未来の記憶を見ることができたのか」のロジックを早めに埋めるために、あえてアニメではファルコのこのシーンを追加したのではとさえ妄想してしまいました。
もっとも、ここまでいくと完全に素人の穿った見方なんでしょうけど。
まあ何はともあれ、アニメもやはり面白かったです。
まだ60話しか観れていませんが、今後ぜひ続きを観たいと思った次第です。
最後に言い訳
毎度毎度、記事を書いている途中で色んな迷いが出てくるのですが、今回もご多分に漏れず……。
一番迷ったのは「エレンとミカサが座標で暮らす」というところでした。
地鳴らしが完了すれば、地上は座標みたいな何もない世界になるわけなので、別に座標じゃなくても普通に地上で生活しているかもななどと思ったりもしています。
他にも迷ったところがあった気もしていますが、忘れてしまいました。
なのでまた何かあれば、言い訳を追加していきたいと思っています。
※追記(2021/01/18)
↑の「エレンとミカサが座標で暮らす」の箇所ですが、ミカサが子供姿というところがポイントですね。
前に自分でツイートしておきながら、記事作成中すっかり忘れてしまっていました。
追記させてください。
うん、やはり今の道ではない古い道では、エレンとミカサは結ばれていたんじゃないかな。https://t.co/WEnhxSXMLC
— エドノポーは進撃の巨人を考察しています (@edonopoh) January 4, 2021
で「いってらっしゃい、エレン」のミカサが子供姿であることから考えると、これもやはり2人は座標で暮らすのではないかと。
始祖は何でも作れるようだし。#進撃の巨人考察 https://t.co/9f14SSOGqq pic.twitter.com/0ToKSCFddy